- 花は時間と空間の芸術である。
- つぼみは兆し、だから重宝される。いずれ色合いが変わる、時間の経過で楽しんでもらう。時間の経過という概念があるのは華道のみ。フラワーアレンジメントは完成したときが最高 時間という概念がない。
- 時間という概念しかないのが、庭。無限大とゼロは一緒。
- 天地人 天と地をつなぐものが、人工。花は自然とどう付き合うか。
- 昔のダンサーを食わせるために観阿弥が能をチケット興行はじめた。観阿弥が世阿弥に全て伝授した。
- いずれ能はその人気のために、宗教布教のために使われるようになった。恨みつらみの劇ばかり、それがお経で浮かばれる、ゆえに布教できる。
- 風姿花伝、観阿弥の本には「時分の花」という言葉がある。年代世代に応じた役割を。
- 538年 仏教 日本を懐柔するために仏教を伝えたが、八百万の神の一つとして日本にインストールされた。これまでは神は天上から地上に来て、すぐに帰るものだったが、仏教の神さまはずっといる、それが面倒と思うようになった。そのため花を供えた、供花。それと依り代が混ざった。
- 見えなかったものを仏教は見えるようにした、苦しいけど次楽になる、だから信仰が広まった。
- 仏教は公家のものだったが、武士が台頭。武士も威厳を見せるために仏教を信仰。
- 仏教的なもの家の中に置いておくようになった、お花、お香など。簡易神殿、これが書院造、床の間になる。床の間は英語でベッドスペース、プチ祭壇。何もおいては行けない、神様のベッドスペース。
- どんどん派手に、たてはな。宇宙を花で表現。抽象的だったから形骸化した。それが疲れた。村田珠光がわびさびを作った、不完全なものや錆びたものが受け入れて癒してくれる。不安感こそ自分を埋めてくれるのでは?
- 段があると上下関係ができ、下は何も言えなくなり、国が歪む。
- 好きがこうじて、数奇になり、梳く、無駄を省いて簡素化された。
- 天、たてる花、派手、マクロ、宇宙を表現
- 地、投げ入れる花、地味、ミクロの中に宇宙がある
- 究極の一点を見つけることも大事。マクロの中にミクロが見える、銀河と同じものが体内に見えるのと同じように。
- チームメンバーのいいとこを引き出すためには、ミクロと、マクロを行き来する。
- 植物の光に向かって伸びていく、つまり植物の形は光の形。
- わび、不安定、そこに心が入っていく。完成しているものには心が入っていかない。
- 島国、資源がない。だからこそ今あるものでどうにかするしかない。その年齢なりの美しさ、年齢が上がったからこそ、できる。
- 情報量を極力減らし、花にフォーカスする。資源のない日本にはそれがあっている。今後の地球も同じ
- 場と素材、いる人や道具などのコンテキストでこの花ができる、というのが達人。
華道の真実 その2
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